■催眠療法の歴史

18世紀末、ウィーンの医師A・メスメルは、スイスの高名な医師パラスケスの考え方を発展させ パリで『動物磁気説』の理論による治療を行い、名声を広めた。

しかし当時のフランス政府は調査委員会 をつくり、似非療法のレッテルをはり、そのために彼は失意のもとパリを去った。

19世紀中頃、英国のJ・ブレイドは催眠は凝視と言語暗示によってひきおこされることを発見し、 1853年、催眠という言葉を初めて使用した。

19世紀後半、フランスのA・A・リェボー、H・M・ベルネーム らのナンシー学派と、J・H・シャルコーを中心としたサルペトリエール学派の催眠に対する論争があり、シャルコーの 考えはナンシー学派に破れ、催眠は心理的な現象とみなされるようになった。

1882年頃、ウィーンの医師J・ブロイエルはO・アンナ というヒステリー少女の治療を通じて、「意識の表面にでることができず、心の底におさえられていた感情を催眠下で発散させてやると症状が消える。」 という重大な発見をした。

彼の友人S・フロイトもこの方法を研究し、シャルコーやベルネーの門をたたいている。 しかし彼はその後、自由連想法を考案し、精神分析の基礎をつくった。フロイトの催眠の放棄は催眠に対する分析学者の興味をおしやる結果となった。

その後第一次大戦時、多発した戦争神経症の治療に短期療法が必要になり、再びブロイエルの催眠法や直接暗示が用いられた。 しかし1930年、フロイトの娘、A・フロイトは「催眠は自我の同意なしに無意識的なものを取り出し、覚醒後、自我にそれを与えるため」 自我はそれと戦わねばならない。」と述べ、催眠を批判したため、精神分析学者の催眠に対する興味が減退した。

1930年代、フロイトの精神分析とは全く無関係にM・H・エリクソン、F・クローガー、B・ストクビス、J・H・シュルツら欧米の学者が催眠 療法を研究した。1941年、第二次世界大戦の勃発とともに精神分析医らが催眠を再び用いた。

R・M・リンドナー、L・R・ウォウベルグ、 M・ギル、J・ローゼン、E・H・エリクソン、K・メニンガーらが精神分析的技法と催眠技法を結びつけた催眠分析を研究しはじめた。

一方、わが国では1950年頃から、精神医学や精神身体医学の分野、また心理学の領域で催眠研究がなされ、竹山恒寿は『催眠術ならびに暗示療法』 をあらわし、医学者の関心を集めた。

また1951年以来、成瀬悟策を中心とした催眠研究グループの基礎的な研究活動が果たした役割や業績が、その後 の催眠療法研究者に与えた影響は大きい。蔵内宏和、前田重治、柴田出らの精神医学領域に関するもの、池見酋次郎を中心とした精神身体医学分野 における研究は注目をあびた。

1991年、ブライアン・ワイスの著作「前世療法」が紹介されたことにより、退行催眠、
前世療法がわが国でも広まりつつあり、有効性も認識されつつある。