ラビンズ紹介
Ravins(ラビンズ)
セラピスト 石田信行
住所 東京都板橋区常盤台2−9−6パラシオン曙203
Tel 03−3965−4254
最寄り駅 東武東上線ときわ台駅(北口)
営業時間 10:00〜22:00(土、日、祝日可)
完全予約制
1984年
1冊の仙道の書籍に関心を持ち、独学を始める。
1992年
ヒーリングをボランティアで開始。
1995〜96年
アロマセラピー、オーラヒーリング、アバター、
ヒプノセラピー修了。
1997年
クレアボヤンス(透視)、クリスタルヒーリング修了。
Ravinsを主宰し、セラピー、ヒーリング等を開始し、現在に至る。
Ravins主宰後、現在までに延べ1.000人を超える人々にヒプノセッション、ヒーリング等を実施。
全米催眠療法協会会員ヒプノセラピスト、アバターマスター、アロマセラピスト、
スピリチュアルヒーラー。
Ravinsの由来
たびたびRavinsという名前の由来を聞かれることがあります。この名前は、私が初めてヒーリングマスターと繋げて名前を尋ねた時に、浮かび上がった名前です。この仕事に取り組むにあたってヒーリングマスターのRavinsという名前が気に入っておりましたので、マスターの名前にちなんで銘々しました。
人生の転回
1991年5月深夜、私は重症を負う事故に遭遇しました。当時私は大阪梅田に勤務する某企業の社員で、会社の同僚たちと食事をし、お酒も少し飲んで帰路につきました。
地下鉄御堂筋線で梅田駅から天王寺駅へ行き、そこから阪和線で上野芝駅までおよそ1時間の帰路です。その日私が飲んだお酒は少量でしたので、安心して乗換駅の天王寺駅まで座席に座って、眠ることにしました。
お酒を飲んだときは決してしないことでした。なぜなら嘗て深く眠り込んだために乗換駅を過ぎて、見知らぬ駅まで持って行かれた痛い経験があったからです。
しかしその時はお酒の量が少なかったので安心していました。天王寺駅に着いて私は眠りから充分覚めぬまま電車からホームに降りたようです。今から考えると半覚醒状態のままホームの脇を歩いていたのでしょう。はるか遠くから、誰かが「あっぁぁぁぁー!」と叫んでいるようでした。その瞬間私は、頭のどこかで、ホームから線路上に落ちたと、思いがよぎり、そして転落したことを確信しました。
このままでは電車に轢かれると思い、なんとか立ちあがり安全な方向へ逃げようと歩き出そうとした時、突然ベルトを後ろから捉まれ、2人の駅員が私をホームへ引き上げてくれました。誰かが救急車!救急車!と叫んでいましたが、私は痛みがなかったのでそれを断り、阪和線に乗り換え、会社の宿舎に戻りました。
宿舎に戻ったものの、階段を上がる力が出ず、その晩は食堂でテーブルに半身をうつ伏せて朝を迎えました。その日は朝から頭がくらくらして、会社へ行く元気が出ず、休むことにしました。丸1日休めば楽になるだろうと考えていたのですが、水を飲めば受け付けず気分が悪くなり、吐き出す始末。この状態が終日続きました。
それでも1日休めば体も回復するだろうと考えていたのですが、翌日はさらに悪化し、立ちあがることも全く出来ない状態に追い込まれ、こうなって初めて尋常ではない事に気付き、救急車を呼んでもらい、救急病院へ搬送され、診断の結果は右腎臓破裂でした。まさか腎臓が破裂しているとは思いもよらぬ結果でした。しかも大変な重症。即入院となり、それから7ヶ月の入院生活が始まりました。
今まで病気という病気をしたことがなく、怪我もなく健康な体でしたので、重症を負っているとは微塵も考えませんでした。しかし、この7ヶ月の入院生活が私の転機をもたらしました。この事故で「死」というのは、ある日突然やって来ることを実感しました。人生は連続して続いてゆくと、あたりまえのように考えていたのですが、根本から考えを改めさせられました。
今までの人生を振り返り、果たしてこのままで良いのだろうか、自問が始まりました。このまま退院後もいままでの人生を歩むのであれば、必ず死ぬ時には後悔すると思われました。経済的には安定していましたが、心底、自分がしたいことをしているのかと問い掛けると疑問がもたげてきます。人生に、喜びを見出せない自分がいました。
私は、退院後の人生は、この世を去る時には「満足のゆく、いい人生だった。」と心から言える人生にしようと、考え始めていました。
1991年12月29日、はれて退院を迎えました。私は一つの決心をしていました。「忠実に、私の心の声に従って生きよう。」ということでした。1992年2月1日から、本格的に心の声を聞くことを始めました。そして出来る範囲で素直に自分の思いに従うことを実践したのです。
今までの私は、しなくてはならない事に忙殺され、したいことをしていませんでした。自分の気持ちを聞くこともなく、むしろ自分の気持ちを無視して、忙しさの中で目の前の仕事をこなしていました。当初は自分の気持ちが良くわからないことがたびたびありました。会社という組織に属しているのですから、したいことをしていたら組織が成り立たないと、むしろ考えていました。
当初は自分の気持ちが掴めない状態でしたが、段々と気持ちが掴めるようになってきました。そして実践して気づいたことは、物事が上手く流れるようになったことです。僅か2〜3日前に考え、望んでいたことが今、現実化しているということがたびたび起き始めました。出来る範囲で自分の思いに従うことで、物事が容易に現実化し始めました。
1992年2月1日〜1993年1月31日の1年間の経験は、私に劇的な変化をもたらしました。この1年間の貴重な体験が、「会社を辞めて、果たして生活していけるのだろうか。」という経済的不安を一切、消し去ってくれました。なぜなら、この1年間、私が考え望んだことが次々と現実化したからです。何度も何度もいろいろ経験させられました。そしてちょうど1年目の1月31日に起きた出来事は私に決定的な影響を与えました。
私が仕事として取り組みたいことも、明確になりました。ワイス博士の著書「前世療法」に出会い、前世療法を学ぼう、という思いが芽生えたのもこの頃です。1995年7月、はれて退職し、現在の仕事に取り組むため、本格的に学び始めました。退職にあたって不安も一切なく、また気負いもありませんでした。思いに従えば上手くゆくことが、経験を通して実感し、解ったからです。
そして、退職と共に、前世療法(過去生退行催眠)、アバター等を学ぶ機会に次々に出会い、1997年Ravinsを主宰し始めました。私のこの体験をセッションに来られる方に時々お話します。この体験をお話したり、体験を通して気づいたことをお話しすると、それだけで元気になられる方がおります。
自分のために、自分の思いを良く聞くこと。自分の思いを良く聞いて、自分とより良い関係を築くこと。「自分の思いを無視して自分とより良い関係を築いていないと、自分の外側の世界と決してより良い関係は創り出せない」ということ。今までの経験は私にこれらの事を体験を通して教えてくれました。
これは私にとって貴重な体験でした。私がヒプノセッション、ヒーリングを実施する際にこれらは大変役立っています。
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